信じ難い歴史的事実

隣のおばさんが亡くなられ、残された遺族は今も、心の傷が癒されずにいます。ところが、二千年前のある人々は、自分達のリーダーが殺されたにもかかわらず、喜びながら神を賛美し礼拝していました。

 

彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
使徒言行録 1:14

 

あたかも生き返った花婿の結婚式を祝うかのごとく。実に、不思議なことです。

 

そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人…
https://t.co/M4RorFgE35.新共同訳

 

 4年前、某牧師さんのお母様が亡くなられ、近所付き合いで葬式に出席した時、ご遺族は皆悲しみ打ちひしがれ、中には涙をこらえられない人もいました。それでも司式を自ら執り行う牧師さんは、天国に旅立つ母親を厳かに追悼されていました。

 それから2年後、牧師さんの長男が結婚し、近所の人を集めて披露宴が開かれ、私も出席させて頂きました。2年前の奥様の葬式では悲しみを堪えておられたお爺さんも、孫の結婚式に続く披露宴では、笑顔を抑えられない様子でした。

 

この様に、愛する人を失った悲しみと、愛する花婿の結婚式の喜びは、全く正反対の空気に包まれています。では2千年前のある人々が、自分達のリーダーが殺されたにもかかわらず喜びながら神を賛美し、あたかも生き返った花婿の結婚式のごとく、喜びながら祝っていたのは何故でしょう?

 愛する人を失った悲しみを、愛する花婿の結婚式の喜びに変えた、何かとんでもない事件があった事実を否定出来ません。牧師さんの家庭に起こった、新郎と新婦のboy meets girl事件のようなことが、2千年前のある方の弟子達にも起こったとしか考えられないのです。

 つまり、2千年前のMaria meets Jesus 事件が本当にあった歴史的事実だということになります。

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 とは言っても、やはりまだunbelievableです。

 

 

 

「酒の神」とケインジアン

昨年の同業者の会合のスナックでの二次会で、自然に不景気を嘆く話題になりました。その時、取引関係の運送会社の社長が「こんな所で景気の話をするんじゃねえ」と啖呵を切るので、「飲み屋で景気や政治の話をするのは、タブーだよなあ」と相槌を打ちつつも、余りの剣幕に「何かあるな」と思いました。

 先日、新聞を読んでいると、政府の公共投資が増えて、運送業よりも条件が良い建設業に人手が流れてしまい、運送業ではドライバーの人手不足状態になっているそうです。スナックでの社長さんの剣幕には、ドライバーの不足が実情としてあることが分かりました。 政府の公共投資は景気刺激を目的とするケインズ的経済政策ですが、運送会社の社長の景気判断をみる限り、政府のバラマキは景気回復の足を引っ張っているとしか思えません。

 ケインズマルクスが好きなこの国の学会や政界は、運送会社の社長さんが指摘する現実を無視するばかりです。なんと言っても、ケインズ型バラマキのニューディール政策は、越後屋と悪代官の世界ですから、アル中の政治家や政商みたいな連中が「酒の神」に洗脳されてやる悪政の世界です。

 

 「ケインズがイギリスを駄目にした。」      マーガレット・サッチャー 英国元首相

 

 マウスの実験で、一匹はアルコールを飲ませ、もう一匹には飲ませなかった場合、お酒を飲まないマウスは朝に出された食事を半分残して、夕食に残りを食べる普通の行動が出来ます。しかし、お酒を飲んだマウスは理性が働かず、衝動的行動の抑制が出来ず、全ての食事を一度に食べてしまいます。

 「酒の神」が統治する某国では、アル中の為に目先の報酬を追う大衆に支持されたリーダーが君臨し、そんな政治家は「酒の神」の洗脳によって、ケインジアンに成らざるをえないのです。つまり、仲間内で酒を飲みながら、「あの汚職政治家はけしからん」とグチっている人々は「酒の神」に騙されています。

 「酒の神」が統治する国では、政治家から大衆までお酒の奴隷とされ、「ケインジアンに非ざれば人に非ず」みたいな空気が蔓延してきます。その結果、 「リベラルな政治が行き詰まると、ファシズム(国家社会主義)が台頭してくる」  ーー経済学の常識が教える「戦の神」による破滅が訪れます。

 

私達が解決すべき問題は汚職政治家ではなく、政府に寄生する政商でもなく、彼等を洗脳しコントロールしている「酒(=戦)の神」です。

復活の証拠

人生の中で最も大きなストレスは、伴侶との死別だと言われます。脳のレントゲン画像を研究している人は、うつ病統合失調症の患者の扁桃体に傷が出来ていると報告しています。大きなストレスに会うと、脳に傷が残ってしまいます。他にも、左前頭葉の血流が少なくなることも知られています。

 

前頭葉はストレスに会った扁桃体の興奮を静めているそうです。うつ病の場合、前頭葉の血流が衰え、扁桃体の興奮を静めるブレーキが働いていないことが考えられます。興奮した扁桃体ではドーパミンやコルチゾールなどのストレスホルモンが過剰になって、それらは神経毒ですから、扁桃体に傷を作ります。

 

朝ドラ「花子とアン」では、親友の蓮子さんが息子を戦争で亡くして、白髪になってしまいました。本来、聖母マリアマグダラのマリア達は十字架刑の後、ひきこもりになって喪に服してもおかしくないはずですが、使徒達と共に喜びながら神を賛美していました。ラザロみたいな事件があったのでしょうか?

 

ラザロが生き返ったような事件。聖母マリアや使徒達を絶望の悲しみから救い出すような奇跡があったのでしょうか?
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フォロワーさんの中にも、心の病に苦しまれている方がおられます。愛する肉親を亡くされた方もおられます。大なり小なり、ストレスを受けた人の脳では扁桃体に傷が出来、傷を癒やす為には時間や治療を要します。心の傷を持った人なら気づくはずです。何故、聖母マリアや使徒達は鬱にならなかったのか?

 

失恋、伴侶との死別などを経験された方なら分かるはずです。何故、聖母マリアマグダラのマリア達は心に傷を負わず、喜びながら神を賛美することが出来たのか? 十字架刑の絶望から聖母マリア達を救い出し、心に傷を残さなかった事実は、イエスが復活した科学的証拠ではないでしょうか?

 

もう一つの証拠が、ペトロを始めとする使徒達です。ペトロは自分達を度々、復活の証人だと言っていますが、どこに証拠があるのでしょう? ここでも聖母マリア達がヒントになります。もし、使徒達が嘘を言っているならば、鬱になってひきこもっているはずの聖母達がついていくはずはありません。

 

 

お酒が作る葛藤

薬物は、「意志の力」でやめられるものではありません。たとえやめられたとしても、残りの一生を薬物に囚われながら生きていくことになります。人がタバコに火をつけるのは、つけたいという気持ちがあるからです。

 

私の禁煙プログラムでは、その気持ちを永遠に取り除くことによって、多くの人々をタバコの罠から救い出してきました。バスに乗る気がないからバスに乗らないことに、意志の力は必要ないでしょう。お酒についても同じことが言えます。

 

ここで重要なポイントは、アルコール依存症の人の心が、精神分裂症的な状態になっているということ。誰もあなたに飲酒を強制しないのですから、あなたの心のどこかに「飲みたい」という気持ちがあるはずです。

 

一方で、「飲みたい」という気持ちと同じくらいに「飲みたくない」という気持ちも存在するのです。

 

もう一つ重要な点。それはお酒は化学物質ですが、飲酒の問題自体は心の問題であり、問題解決には心の治療が必要だということ。心の中の葛藤を取り除けば、お酒はやめられるのです。 アレン・カー『禁酒セラピー』p142

 

 

節酒か完全禁酒か

「もう一生、一滴たりとも、お酒を飲むことができない」と思うと、不安にかられるのではないですか? パニックに陥っていませんか? 私もそうでした。私のクリニックを訪れるセラピー受講者とも、次のような会話をよく交わします。 アレン・カー『禁酒セラピー』p150 #kinsyu

 

 受講者「アレンさんは今でも時々飲みたいと思いますか?」
 私  「いいえ、全然思いませんよ」
 受講者「時々飲みながらもお酒に依存しないでいることは可能ですか?」
 私  「私はできますよ。でも飲みたいという気持ちは完全になくなりましたから、やってみようとは思いませんね」

 

 受講者「時々飲みながら依存しない方法を教えてもらえますか?」
 私  「もちろん、いいですよ。お酒だけじゃなくヒ素を飲んでも依存しない方法だって教えてあげられますよ」
 受講者「ヒ素なんて飲みたいと思いませんよ」
 私  「そう、そこがポイントなのですよ」

 

 ここでたいていの患者さんは「なるほど」と思うわけです。楽しみとか心の友とか人生の支えといった先入観を捨てて、お酒が本当は「破壊」という名の毒なのだと納得できれば、「もう二度と飲めない」と言われても不安は感じないのです。 アレン・カー『禁酒セラピー』p151 #kinsyu

 

 二度と飲めないという「不安」が、二度と飲まなくてもいいという「喜び」に変わった日のことを、私は今でも覚えています。大きな黒い雲の影から太陽が差し込み、いままで暗くて寒かった場所が突然明るい陽だまりに変わったような気分でした。 アレン・カー『禁酒セラピー』p151  #kinsyu 

 

 

今年最後の桜の花見と花桃

明日は雨との予報なので、遠出しての花見です。まずは、ケンミンの方々の間で一番有名な枝垂れ桜です。

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抹茶入りのお餅を鉄板で焼き、炒りもちと呼ぶそうです。

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枝垂れ桜の地区を後して、次はハナモモです。

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約二十年前、当地の男性が花桃を植え始めて、今では花桃の郷と呼ばれるまでになりました。

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地元ローカルの民放と某国営放送が、並んでビデオ撮影していました。

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花桃の郷を後にして、次はひょうたん桜です。

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樹齢500年、花弁の形がひょうたんに見えるところから、ひょうたん桜と呼ばれているそうです。

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ある老夫婦のお酒をめぐる攻防

久々にブログネタができたので書きます。父親が酒の飲み過ぎで、ドクターストップになりました。肝臓の数値が悪いそうです。γ-GTPみたいなことかと思われます。食欲も激減して心配していましたが、アルコールが原因だそうです。「車の運転も止めなさい」と言われたそうですが、翌日町へ出かけて危うく事故になりかけたそうです。

母親が「車のキーを取り上げろ」と言い出して、私が「断酒会でも行かないとお酒は止められない」と言うと、「そんな所に行く訳が無い、車のキーを隠せ」と問答無用の決定になりました。

翌日母親が通所リハビリに出かけると、さあお酒を買いにいくぞとばかりに、父親が「車のキーを出してくれ」。私が「車の運転をしてはいけない」と医者に言われたことを質すと、「酒以外に食べたいものがある」とゴネます。私が買ってくることにして、ひとまずその場を収めました。

車の運転ができなくなったので、欲しいものは私がお使いに行かされることになりました。首が痛いと言い出して、整形に行くのも私の車で送り迎えです。送りで往復30分。迎えも往復30分。あわせて1時間、介護の送迎に付き合わされました。

「ただでも忙しいのに、余計な用事が増えた」と母親に文句を言いましたが、「こんなのはまだ序の口」と有り難い一言。内心「あんたのせいや」とぼやいてしまいました。父親は母親の作戦どおり、1週間禁酒しています。お酒を止めさせたい母の長年の夢が、現実となりました。

ブログネタとしては面白いのですが、身内の恥曝しになってしまうので、この辺で止めておきます。お酒をめぐる老夫婦の攻防でした。